浜辺のことを、英語では「ビーチ(Beach)」と言いますね。
そして、そのビーチに落ちている”美しいガラスのかけら”は普通「シーグラス(Sea glass)」と呼ばれることが多いのですが、中には「ビーチグラス(Beach Glass)」と呼ぶ人も少なくありません。
どちらも意味するものは同じな訳ですが、ただ”渚美術館のビーチグラス”は、それらのビーチグラスやシーグラスとはちょっと違います。
どこが違うかと言うと、普通にみられるビーチグラスでは有り得ない「形」と「模様」を持っているのです。
どうしてそんなものがあるのか?
それは、ここ渚美術館では「ガラス工芸」の技術を使って、この一風変わったビーチグラスを「作っている」のです。
天然(?)のビーチグラスのファンの方からは、「何だ、作ったビーチグラスか・・・・」と思われるかもしれません。
しかし、「天然」という価値とは別の意味や意義、そして美しさを生み出していくのが、まさに「アートスピリット」ではないかと考えます。
実際、天然のビーチグラスの中には、美しさという点であまり共感できないものも少なくありません。
そして、何よりも天然のビーチグラスとは、悲しいかな「人間が海にガラスをゴミとして捨てる」ことによって、初めて存在しているのです。
ですから、地球の側からしてみれば、本来「ビーチグラスなどあってはならない存在」と言っても過言ではないでしょう。
けれども、すでにビーチグラスは存在している訳です。
そうであれば、「今から何ができるか?」ということを考えることが重要になってくるのではないでしょうか?
一つは、これ以上ガラスを海に捨てないこと。
当たり前のことですが・・・・。
そしてもう一つは、すでに存在しているビーチグラスを、何かに有効活用すること。
例えば、アクセサリーとして・・・・。
そんなことが考えられる訳ですが、しかしそうなると、「海辺の宝石」とも呼ばれる美しいビーチグラスは、やがて砂浜から姿を消すことになります。
本当に残念なことですが、しかしそうかと言って、海にガラスが捨てられることを期待する訳にはいきません。
そこで、私たちは「ビーチグラスを作る」ということを考えました。
天然でもなく、単なるゴミでもない、「渚美術館独自のビーチグラス」を・・・・。
大切なのは、「天然だからいい」とか「捨てられたものだから良くない」という発想ではなく、生まれや生い立ちというハンディを乗り越えて、「それが今輝いているかどうか?」ということではないでしょうか?
人間と同じように、「今この時を全力で精一杯生きている」ということこそが、その存在の「かけがえのない価値」を生み出すのではないかと思うからです。
波や風という自然の躍動の中には、ただのかけらを美しい「海辺の宝石」へと変化させる素晴らしい能力が秘められています。
一方で、渚美術館では「天然ではないものの中に、天然以上の価値を作り出していきたい」と考えています。
海に落ちているただのビーチグラスではなく、「世界でここだけのビーチグラス」をどうぞご覧下さい。
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